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2006.12.18

あと一週間

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今日は12月18日、
ちょうど一週間後の12月25日、
来週の月曜日がクリスマスです。

お仕事の方もたくさんいらっしゃいますが、
できるだけその日は自分の愛する人や
家族、友人とともに祝いたいですね。。。



2000年前、苦難の日々を送っていた
イスラエルの民たちが、
救い主の誕生を待ち望んだのが、
クリスマスの4週間前から始まっている
待降節(アドベント:ラテン語で「到着」)です。

紀元前、ユダヤ人たちは救い主の誕生まで、
最後まで希望を失わないように生きるよう、呼びかけています。

このことは現代でも言えるのではないでしょうか?

世界にはいまだに苦難の日々で
幸せなクリスマスを迎えることができない方もたくさんいらっしゃいます。
年間に3000万人以上の方が
自然破壊、戦争被害、飢餓などで命を落としています。

いつかその方たちが救われることができるよう、
希望を捨てずに生きることができるよう、・・・
クリスマスのおいしい料理やケーキを食べる前に、
少しそんなことを考えてみたいですね。

クリスマスが

 「平和を願う日」
であるということを忘れてはいけません。


  -------------------


ミッシェルさんの日記です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=294535461&owner_id=5766188&comment_count=57

フランスの植民地であり、
一握りの人間が富を独占していたアフリカの小国を、
一人の革命家が本当の国民のために国の改革をし、
国際社会に向けて、
 『どのように互いを愛するか』
ということを訴えました。

勇気と希望を忘れてはいけません。



『わたしは人間であり、
 人間である限り、
 わたしと無関係ではないのだから』

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アフリカの西部の内陸、
サハラ砂漠の西南に、
オートボルタという国があった。


奴隷貿易やフランス植民地支配など、
この辺りの国々と同様の悲しい歴史を持つ。


これといった資源もなく、
土地も豊かではなく、
内陸国ということもあり、
1960年の独立以降も、
ずっと、世界で最も貧しい国の一つだった。


赤ちゃんの5人に1人は、
1歳まで生きることができず、

学校に行ける子どもは、16%だけ、

国民の90%以上が、
文字の読み書きができず、

一人当たりのGDPは、
年間100ドルを超える程度だった。


そして、他の多くのアフリカの国同様、
政治の主導権は、独立後もフランスにあり、
そして、オートボルタは、
不正のはびこる国だった。

5万人につき、
たった1人の医者といった医療制度。

税金の払えない貧しい人々に対し、
時には「女性」を要求する行政。


人口の0.3%ほどの役人の『給料』に、
国家予算の70%をつぎ込み、
国の予算が足りなくなると、
外国に『借金』や『援助』を求めた。



人々が、「普通」に、
飢えや病気で、次々に死んでいる世界で、
1980年代、一人の男が立ち上がった。


名前を、トーマス・サンカラと言った。

彼は、軍人であり、
ジャズギタリストでり、
そして、バイク乗りだった。


サンカラは、友だちのコンパオレと共に、
1982年、革命を起こし、
1983年に、大統領に就任した。

若干33歳だった。


彼は、実行する男だった。


軍の倉庫を、
この国初の「スーパーマーケット」に改装し、
一般の人々に解放した。


政府や官僚が公用車として使用していた
メルセデス・ベンツを、すべて売り払い、
当時、一番安く手に入った
「ルノー5」という大衆車に買い換え、
大統領、自らもそれを使用した。

当時、「砂漠の狂犬」と言われた
リビアのカダフィー大佐が、この国を訪れたときも、
サンカラは、この車で迎えに行った。

そのとき、カダフィーはあきれ、
車に乗ることを拒否し、
徒歩でホテルへ向かったという逸話もある。


サンカラにとっては、「国賓」や「大切な客」よりも、
「大切な国民」のためのお金だった。


また、彼は、援助、そして、外国の支配を拒否した。

サンカラは言った。

「自立のための援助はありがたい。

 しかし、一般に、外国の援助のポリシーは、
 その国の構造を破壊し、
 人々を分断させ、
 人々に奴隷として生きることを続けさせている。」


また、
古い風習のために苦しむ女性たちの解放を目指し、
子どもたちを学校に通わせ、
公衆衛生、医療制度を充実させ、
農業改革を行い、
自給自足の社会システムを作り上げていった。


そして、1984年、国名を変更した。

「ブルキナファソ」。

「高潔なる人々の土地」という意味だ。



その年の10月、
サンカラはニューヨークの国連総会に出席し、
壇上で、次のような演説した。


「わたしは、
 愛するブルキナファソの人々を
 代表するだけではなく、

 世界の片隅で、もがき苦しんでいる、
 すべての人々を代表して語りたい。


 黒い肌をしているだけで、
 あるいは文化が異なるというだけで
 ほとんど動物と変わらない扱いしか受けていない
 この数百万人のゲットーにいる人々を代表して
 わたしは語りたい。


 男性によって作り上げられた
 システムによって苦しんでいる、
 すべての女性を代表して、
 わたしは語りたい。


 マラリヤや下痢といった
 簡単に救う方法があるにもかかわらず、
 貧しさや、知識の不足から、
 子どもたちが死んでいくのを目の当たりにしている、
 すべての母親たちのために、
 わたしは語りたい。


 お金持ちの人々のショールームの
 武装された警備で守られている厚いガラス窓を、
 いつも、お腹を空かせて見ている貧しい子どもたちのために、
 わたしは語りたい。



 
わが国は
 人類のすべての苦悩を統合したような
 苦しみに満ち溢れている。

 だが同時に、
 戦いの希望にも満ち溢れている。


 死の商人たちが独占している
 最新の科学技術、
 それをじっと見つめる
 不安げな病人たちに代わって
 わたしは打ち震えるのだ。


 そしてわたしは、
 自然破壊の犠牲となったすべての人々、
 飢餓という恐ろしい武器によって死に至っている
 年間3000万人の人々に思いを馳せている。


 世界中の国際会議で発言しようとしているすべての人々、
 彼らの声が届くように、
 そして真剣に問題を取り組むために、
 わたしはここに立ち上がる。


 この国連の会議の場で、
 わたしの前では多くの人々が発言してきた。

 そしてわたしの後にも発言者が続くであろう。


 しかし、建前上はみな平等の権利をもって
 会議に臨んでいるとしても
 実際の決定権を握っているのは
 ごく少数の人々だけである。


 だからこそわたしは、
 世界中の国際会議で
 発言しようとしているすべての人々の
 声が届くように、代弁者となろう。


 そう、わたしは
 世界で見捨てられているすべての人々のために語りたい。

 なぜなら
 わたしは人間であり、
 人間である限り、
 わたしと無関係ではないのだから


 わたしたちの望みは、
 他の人々を排除するような
 黒人の世界を作ることではない。

 黒人として、わたしたちは、皆さんに伝えたい。

 『どのように、お互いを愛するかということを』

 ("As black people,
  we want to teach other people how to love each other.")」。



しかし、当時の世界の指導者たちは、
サンカラの言葉に耳を傾けることはなかった。

フランスをはじめ、欧米の国々は、
「共産主義」だと言って、
自分たちの作り上げた社会システムを脅かす敵だとし、
また、援助や不正によって政権や富を維持してきた、
周りのアフリカ諸国にも脅威だと敵視された。


そして、1987年10月17日、
『親友』のコンパオレの部隊に殺された。

多くの人たちが、フランスの関与を信じている。


「革命家を殺すことはできても、
 その思想までは殺すことはできない。」

サンカラが、殺される1週間前に語った言葉だ。


日本や欧米の人々には、
あまり知られていないサンカラだが、
今なお、アフリカの、
そして、世界の多くの人々の間で、
愛され尊敬されている。

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