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2010.03.22

命は誰のもの

昨日のNHKスペシャル
命をめぐる対話 “暗闇の世界で生きられますか”

ALS(筋萎縮性側索硬化症)の病状が進行し、
完全な「閉じ込め状態」となってしまう患者を
作家の柳田邦夫氏が取材をおこなったドキュメンタリー

脳は正常機能を保ち、音を聴いて理解もでき、
眼球やわずかに動く頬の筋肉を関知するセンサーで
PCを介し、かろうじてまわりとコミュニケーションをとっていた。

しかし体の全ての筋肉がやがて動かなくなってしまい、
意識明瞭でありながら下の世界と断絶されてしまう、
TLS(Totally Locked-in States)という状態に陥ってしまう。

夜中に寝ているとき、顔面を這っていたムカデに頬を噛まれ
激痛が走ったが、払いのけることも助けを呼ぶこともできず、
自分ではまったくどうすることもできない。。。

照川さんは、呼吸器と胃ろうによる栄養補給で、
いますぐ死に至るということことはない。
しかし、これで本当に生きていると言えるのだろうか。
本人は「生きていることが辛い」と自らの死を望んでいる。

柳田氏は
「命は自分だけのものではなく、照川さんが生きていることで
 まわり家族が支えとなっている側面もある」と訴えるが、
果たして本当にそうなのだろうか。

「生きてさえいてくれれば」という家族の思いは確かにあるだろう。
しかし、あまりにも本人が置かれている暗闇は深く、
そして過酷すぎるのではないだろうか。
いつ果てるともしれぬ暗黒の世界から解放されることを
本人が望むことは誰も咎められないのではなかろうか。

人口呼吸器や栄養補給による延命措置で、
普通ならば命を落とすべき状態であっても生き続けることができる。
いや、無理やり生かされてると言ったほうがいいかもしれない。

「生きていることが辛い」
自らは闇から解き放たれ安らかな死を望んでいるが、
家族の為に生き続けなければならないのか。
いったい命は誰のものなのか?

医療技術の発達により、救われる命が増えたことは確かだが、
しかし、人間の魂までもが救われているのかは疑問です。

科学技術の発達の影で、このような歪みが生じていること。
これから本当の生きる意味とは何かを考えていくべきなのでしょう。

◆関連


『潜水服は蝶の夢を見る』

『海を飛ぶ夢』

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コメント

命は誰のもの?って聞かれれば、それは答えるのにかなりの労力がかかる質問です。

「命は自分だけのものではなく、照川さんが生きていることでまわり家族が支えとなっている側面もある」というのは、確かに事実だけど、これを理由に当人にとっては不本意にも生かし続けられるのはどうかと。

少なからずご本人もそう感じたから自ら、行くべき時には行かせてほしい、とお願いせざるを得なかったんでしょうね。こんな風にしてまで生きたくない、というのがこの方の結論なんでしょうね。

中にはどんな姿になっても、何もできなくっても、これでも生き続けたいって言う人もいると思います。(もしかしたら、だけど)

ケースバイケースかな、と思いました。

>mitchyさん

残酷な病だよね。
10年以上かかってジワジワと体が動かなくなり、
やがては長く暗いトンネルの中に閉じ込められ、
1人で生きていかねばならないことがわかっている。
いや、「生かされていく」というべきか。

「もし自分が、」と思うと、とても生きていく自信はないな。

闇のなか、1人ぼっちで沈黙のうちに生きていく、
意識が無いならまだしも全て理解できているのに
ただ呼吸をさせられて石のように動けないのを見て、
介護をしている家族はどういう思いでいるんだろう。

今日も「介護に疲れた男性が妻を締殺」
と痛ましいニュースが報道されていました。

いったい人間の尊厳とはどこにあるんでしょうね。

ALSに、呼吸器を選択した時点で、
もうこの運命は決められちゃったんだよね。
現行法では、家族も医師も、
誰もスイッチを切れないから。。。

自分はALSの家族や本人と、
いままで何度も、呼吸器まで頑張るか、
それ以前に気管挿管や気管切開をするか否か、
過去に話し合った事があるけれど、
誰一人として、呼吸器を希望された患者は、
居なかったよ。

この末期の状況まで説明すると、
呼吸器を希望される患者や家族は居なかった。
問題は、このケースの主治医が、
気管切開の段階で、こうなることについての
インフォームドコンセントを取ったのかという1点だと思う。

>まぁさん

貴重なご意見ありがとうございます。

そうなんですよね、
呼吸器を一度着けちゃったら外せない。

医師による説明とその選択がおこなわれ、
その時は家族の為に頑張ろうと思ったとしても、
実際に体感してみてそのあまりの辛さに、
「やはり耐えられない」と思うこともあるでしょう。
そんな時に逃げ道はないものなのか。。。

いろんなところで話し合われてることですが、
やはり現行法の改正は必要ではないかと思います。

呼吸器をつけられた患者も、傍で見てるしかない家族も、
そして医師にとっても辛いことですよね。

私も昨日、同じ番組をみて考えさせられました。照川さんがコミュニケーションのとれなくなる状態を「精神的な死」と書いておられたのが深く印象に残りました。外部刺激は入ってくるのに、自分は意志を表現できない苦しみは想像を絶します。(ご本人はその一歩手前ですが。)「自分の死を選ぶ権利」は保証されるべきなのかもしれません。
しかし、それと同時に、 もう一人照川さんのお友達のALS患者の方が、「本人は生きたくても、家族に迷惑をかけるのが心苦しくて死を選ぶ人が出るのではないか」と警鐘を鳴らしておられたのも心に残りました。「生きてさえいてくれたら…」という家族ばかりではないと思います。自分は何もできなくて、家族の厄介者だと自己否定し、死を選ぶ人が出ることは避けなければならないと思います。
「どこまでが自分の意志か」それを線引きするのは非常に難しく、この問題のデリケートさを感じます。

>やっぴさん

コメントありがとうございます。

「精神的な死」
悲しい言葉ですね。
仕事柄、意志表示ができなくなってしまった相手に対し、スピリチュアルな部分へのケアをどのようにアプローチすればいいのだろうかと考えてしまいました。
自分の辛さや苦しみは耐えられたとしても、家族にかかる日々の負担や、もし家族の誰かが自分のことが原因で何かを犠牲にし諦めねばならない事態が発生した場合、いたたまれない気持ちとなり自らの死を望んでしまう気持ちは理解できます。

>「生きてさえいてくれたら…」という家族ばかりではないと思います。
そうですね、やはりTV(しかもNHK)の番組なので、患者さんも介護をされている家族も病と向き合って闘っておられますが、必ずしもこのようなケースばかりではないと思います。
尊厳死を推奨するわけではありませんが、様々なケースにおいて最良の選択ができるように法の整備が急務ではないかと感じました。

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