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2010.09.25

大一大万大吉

司馬遼太郎先生の『関ヶ原』を以前に読んでから、
ずっと前から「行きたい!」と思っていた「関ヶ原古戦場」
念願がかないやっと行くことができました。

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田んぼ脇の草むらに山羊がいたりと、なんとものどかな所で、
ここでいまから400年前に「天下分け目の大合戦」があった
なんてことは想像もつかないような場所です。

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ほんとになーんにもない。

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そして田んぼのまんなかにポツンと石碑があるのみ。

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この方は武将の末裔でしょうか、皆に指示をしています。
「おぉ~い、もっと右端を上げるのじゃ!」

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家臣たちも主君の為に、高齢にもめげず懸命です。
「ははぁ~、おおせのとおりに!」

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西軍の将、石田三成の陣跡となった笹尾山の上に来ました。

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ここから西軍8万、東軍7万もの大軍勢の情勢を見て
総大将としての指揮をとっていたんですね。

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  『大一大万大吉』

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「大とは天下を意味し、天下のもとで一人が万民のために、
 万民が一人のためにという世の中になれば
 すべての人が吉(幸福)となり、太平の世が訪れる」

という意味だと考えられている。

この言葉を聞き、よくラグビーなどのスポーツで言われる
  「One for all,all for one.」
 (一人はみんなのために、みんなは一人のために)
という協力や団結といった意味の言葉を思い出した。 

誰しもが、「相手を倒して、自分がのし上がって行こう!」
という強い者が弱い者を倒す下剋上の戦国真っ只中で、
この考え方を持った人物がいたというのは奇跡でしょう。

でも生まれる時代を間違ってしまったのかもしれません。

痩せっぽちで神経質な、そして事務仕事が得意な男は、
徳川家康という怪物に真っ向勝負を挑みました。

そして老獪な古狸に敗れ、いまの自分と変わらない41歳で、
京の六条河原で斬首されその首を晒すことになります。

その後、徳川時代には大悪人というレッテルを貼られるが、
近代になってからは、さまざまな史実が調べなおされ、
その政治能力と秀吉への忠誠心が高く評価されてきました。

善政をしいていた三成は飢饉のときには年貢を免除するなど、
領民に慕われ、それが農民たちの子孫代々にまで伝わり、
本来の人物像が明らかにされることとなったようです。

今年は石田三成生誕450年。
さまざまな催しなどもされるようです。

『石田三成公生誕450年祭実行委員会 』

いしだみつにゃん

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頭脳明晰で義に厚い武士でありましたが、
高潔すぎるがゆえに命を縮めてしまった三成。

自分だけが良ければいいのではない。
皆が幸せに暮らせる平和で豊かな世を願い、
強敵にも臆することなく正義の闘いを挑む。

弱気外交や我が身の保身ばかり考える議員をみていると、
こんな政治家がいまの時代にも必要なのでは。
…と思わざるをえないですね。


特に、

中国漁船が尖閣諸島で起こした領海侵犯に対し、
日本政府の考えられないような屈辱的な対応。


強大な力を盾にした、理不尽で悪辣な国に対し、
きちんとモノ言えるヒーローが現れてほしいものです。

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