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2011年4月

2011.04.30

屋根より高い

明日からもう5月、
日がたつのがほんと早い。。。

昨日、出張から帰る途中に見た鯉のぼり。

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奈良市街の東で少し高台にあるこの地域は、
ちょうど大和盆地を見下ろす位置にあり、
大地も空も視界に大きく広がっています。

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春風にのり元気いっぱいに泳ぐ鯉たちは、
いまにも天高く舞い上がるかのよう。

都会で目にすることが少なくなったこの風景は、
五月という季節を象徴し、目にも心にも響きます。

これからの日本の将来を担う子供たち、
そして沈みがちな今のこの国のすべての人も、
この鯉のように元気を出していかなきゃね!

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2011.04.26

川沿いの自転車道

今日の午前中は、自転車に乗ろうと思い立ち、
早めに店に行き荷物を置いてからブラっとポタりに。

普段は通勤でしか使ってない自転車も少しは走らせなきゃ
と、店を出て三条通りから尼ヶ辻の秋篠川まで行き、
郡山に続く自転車道をゆっくりペダルを漕いで南下。

曇空なので昨日のような突然の雨を警戒しながらも、
川面を流れる春の風は心地よくそんなことを忘れさせます。

秋篠川は平城京造営時に造られた人口の川らしく、
物資を運ぶための水路として活用されていたようです。

万葉の時代からあったであろうこの川べりの道は、
おそらく平城京の官人たちも散策していたことでしょう。

先に見えるこんもりとした森は「垂仁天皇陵」

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2011.04.19

女子的休日

先日、REFLE学院時代の友人2人と会ってきました。

お二人とも主婦で、そのうちのお一人はあと1ヶ月もしないうちに
第一子出産予定となっており、大きなお腹を抱えての参加。

11時に肥後橋駅で待ち合わせて、歩いて出発。
土佐堀通りと四ツ橋筋に面した場所にあるお店へランチに。
有形文化財指定となっているレトロなビルが素敵です。

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2011.04.18

見おさめ

桜の季節ももう終わりですね。

散ってしまうのは名残りおしいけど、
何にでも終わりがあるからこそ美しくあり、
またそこから新しい始まりも生まれるのでしょう。

今週末はイースター(復活祭)です。

肉体の死は終わりではなく、
永遠の命を得られること。

亡くなった多くの人の命も
その魂はどこかで生き続けている。


地元の桜を何枚かUP

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2011.04.12

長谷寺探訪

昨日、桜井の長谷寺に行ってきました。
花の寺として知られており特に牡丹が有名ですが、
この時期の桜がまた素晴らしい!

午前中の予約のクライアントの施術を済ませ、
車を飛ばし、長谷寺に着いたのは午後4時前。
でも平日の夕方とは思えぬくらいの人出でした。

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2011.04.11

考える葦

もうひとつ葦に関連した内容

17世紀の科学者、哲学者のパスカルの有名な言葉

  「人間は考える葦である」

この言葉の意味の解説で秀逸な文章がありました。
簡単にその文章をまとめると、

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人間は細くて弱い1本の葦にすぎない。

ナイルの河畔に生える葦は強い風が吹くと、
弱いために、すぐしなって曲がってしまう。
また洪水がきたときには、なぎ倒されてしまいます。

強い力がきたときには弱いため抵抗できず、
いや、抵抗せずにしなって敗北してしまう。

これに対し幹の太くて堅い樫などの樹は、
強い風にもしなることなく、抵抗して風に勝利するが、
繰り返しの風にはいつか倒され根元から折れてしまう。

しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、
風が吹くとそれに身をまかせてしなり、
逆境のなかで、一見屈服したように見える。

しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、
再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れている。

人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、
それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、
また元のように、みずからの姿で立ち上がる。

自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、
柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。

そして何よりも人は、「考えることができる」
すなわち「精神を持つ」ということが葦との違いであり、
同じ弱い存在ではあるが、遙かに賢明で優れている。

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というような内容が、
人間への「比喩」の意味と紹介されていました。

人は強い力に対し弱く脆いものでありますが、
弱いがゆえに知恵でもって難題を克服し、
倒されてもまた起き上がる強さも持っています。

いまの日本が被っている未曾有の問題に対しても、
考える葦となり、きっとまた立ちあがれるはずです。

2011.04.08

葦と葦

葦、蘆、葭
これらの文字は「ヨシ」とも「アシ」とも読めます。

日除けに使う「すだれ」の材料になる植物であり、
水辺に自生する多年草で、世界中に広く分布しています。

一般的には「ヨシ」と「アシ」は同じ植物ですが、
アシの音が「悪し」に通ずることを忌み、
逆にヨシは「善し」につながることから、
ヨシの呼び名のほうが多く使われているようです。

でも厳密には違う植物であり、
「ヨシ」は節と節のあいだが空になっていて軽く、
「アシ」は茎のなかに綿毛のようなものがつまっているよう。

琵琶湖畔の近江地方は葦が多く群生し、
すだれの生産者が多く存在しています。

この地域の業者はすだれの材料には「ヨシ」のみを使うそう。
先ほど述べた「アシ」→「悪し」のイメージがあることから、
腹黒い人のことを指して、「あの人はアシだから」と言うらしい。

「アシ」の茎の内部が空洞でなくつまっていることで、
腹に一物もっているということにも通じているのでしょう。

今までは、そんなことまで気にしていませんでしたが、
こういう話を聞くとなにか清々しく感じられ、
すだれを作る近江の真面目な生産者の顔が浮かぶようです。

でも今のこのご時世は市場に出回ってるほとんどが、
値段の安い中国産に変わってしまっているとのこと。

日本という国は、たとえ無駄と思えるようなことや
なにかを作るのに大そう手間のかかることであれ、
機能美の他に何かしらの精神的な美意識がありますよね。

いまではそういった精神的な美的感覚は廃れつつありますが、
製作するもののみにかぎらず、どのようなことであれ、
「悪し」ではなく「善し」となるべき道が大切であると、
近江のすだれ生産者から学んだ気がします。

今年の夏は節電でクーラーの使用も少なくなるでしょうから、
この葦を使ったすだれが大活躍するかもしれませんね。

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2011.04.04

春きたり

震災で日本中が大変なことになっていますが、
ようやく春らしくなり桜も咲き始めてきました。
寒い冬とともに悲しみも一緒に連れ去ってほしいものです。。。

何があろうとも季節は何事もなかったようにやってきます。

752年から続く東大寺二月堂の修二会(お水取り)も、
休むことなく今年も1260回目がとりおこなわれました。

応仁の乱のときも、戦国の乱世のときでも、
明治維新の廃仏毀釈のときにも、
大戦での敗戦後の混乱時にあっても、
一年たりと休むことなく続けられてきた。

まるで自然の一部のようです。

自然の営みはときに厳しくもありますが、
また人を癒してくれるものであると信じています。

日は西に沈んでも必ず夜明けはやってきます。

希望を持ち、そして決してその歩みを止めることなく、
一歩ずつ前へ進むことが大切なのでしょう。

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