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2012.03.01

死と向き合う

昨日、友人が亡くなった。

彼女は昨年の3月に突然物が食べれなくなってしまい、
診断が末期の消化器ガンであり、「余命半年」と宣告された。

数年に渡って執筆をおこなっていた訳著の投稿を済ませ、
やれやれと一段落したすぐの出来事であった。

しかし食べれないこと以外には癌の疼痛などの苦しみは少なく、
普段通り、いやそれ以上に残された日を多忙に過ごされた。

6月に本が出版され、7月には出版記念パーティもおこない、
10月末には点滴のポートを入れたままで渡米された。
サンフランシスコで娘夫婦と孫との楽しいひとときを過ごされ、
ニューヨークで原著のバーガー女史との再会も果たされた。

「人って食べなくても生きていけるもんやね、
 これだけあれば食べなくても平気やわ~。」
と、高カロリー輸液を指さしガハハと笑っておられた。

以前からご主人と早朝の奈良公園散歩でよくお会いしていたが、
癌患者になってからはさらに若草山登山を毎朝しておられた。
亡くなられた当日に伺ったときも、隣家の方が驚いたように、
「元気そうやったけど、どこか悪かったんでっか?」
と、末期ガンであることをまるで気付いていなかったようだ。

彼女とはここ最近のクライアントの中でも、
霊的な部分で深く繋がっていたような気がする。

病の話から始まり、家族のこと、食のこと、自然のこと、
宗教の話もしたが、キリスト教のことよりも仏教やイスラムなど、
様々な他宗教の話のほうが多かったかもしれない。

リフレクソロジーを受けられているときには、
「まるで大仏さんに足揉んでもらってるみたいで安心するわ~」
と、とてもユニークな感想を述べて笑わせてくれた。

そして総合病院での治療と在宅の看護の違いについて、
まさに彼ら彼女らのしていることは「ケア」だ。
在宅の医師や看護師は本当に患者のQOLをあげてくれる。
と、天理○○○病院とひばりクリニックの違いについて、
「同じ医療でもこんなにも違うものか」と驚いておられた。

そして最後のほうは死生観についてよく話した。
末期ガン患者で、こんなにも死について語った方は初めて。
自分が死に直面しながらも正面から死に向き合っておられた。

最後のメールを受け取ったのは2月18日
抗がん剤副作用が強くなり、「しんどかってん」と言いながら、
Amazonでついた著書へのレビューに「元気が出るわ~!」
と喜んでおられた。

彼女の死を聞いたときも、自宅でお顔を拝見したときも、
不思議と悲しみの気持ちはそれほどわいてこない。

何度も「どういう死に方がいいでしょうね?
お葬式は? お墓は?」などと笑いながら話していたからか。
言葉にすると「やり遂げましたね!」という気持ちだろうか。

2000年もの間、誰も触れようとしなかった(できなかった)、
タブー視されていた女性とキリスト教との関わり。
50歳でアメリカの大学に留学し神学を学ばれた彼女は、
このキリスト教の新たな視点、隠されていた真実を伝えるため、
まさに自分の心身を削りながら晩年を捧げられたのでしょう。

58歳という年齢はまだまだ死ぬには早いかもしれない。
でも大きな仕事をやり遂げた上で、その結果に満足し、
旅立つ準備を存分に済ませ、死のほんの直前まで笑いを忘れず…

このような死に方をしたいと心の底から感じた。

「女性たちが創ったキリスト教の伝統」

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