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2012.05.07

逝き方は生き方

大往生したけりゃ医療とかかわるな
 「自然死」のすすめ

という本を読みました。

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今年の1月に発行され、すでに40万部以上売り上げています。

著者は特別養護老人ホーム常勤の配置医師であり、多くの人の死を実際に看取ってこられてお感じになった言葉には真実と重みがあります。

目次をいくつか抜粋してみました。

  * * *

●第一章
 医療が“穏やかな死”を邪魔している

・医者に対する思い込み
・本人に治せないものを他人である医者に治せるはずがない
・「自然死」の年寄りはごくわずか
・介護の“拷問”を受けないと、死なせてもらえない

●第二章
 「できるだけの手を尽くす」は「できるだけ苦しめる」

・極限状態では痛みを感じない
・食べないから死ぬのではない、
 「死に時」が来たから食べないのだ
・“年のせい”と割りきったほうが楽

●第三章
 がんは完全放置すれば痛まない

・死ぬのはがんに限る
・「早期発見の不幸」「手遅れの幸せ」
・「がん」で死ぬんじゃないよ、「がんの治療」で死ぬんだよ
・最期を医者にすがるのは考えもの
   
●第四章
 自分の死について考えると生き方が変わる

・「生前葬」を人生の節目の「生き直し」の儀式に
・「死」を考えることは生き方のチェック
・「延命」の受け取り方は人によって違う
・「死」を考えることは生き方のチェック

●第五章
 「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、
  医療は限定利用を心がける

・生きものは繁殖を終えれば死ぬ
・医者にとって年寄りは大事な「飯の種」
・生活習慣病は治らない
・年寄りはどこか具合の悪いのが正常
・年寄りに「過度の安静」はご法度
・人は生きてきたように死ぬ

  * * *

自分の場合であれば、動けなくなって自分の身の回りのことができなくなり口から物が食べれなくなれば、もうこのまま静かに死なせてほしいと思いますが、これが家族であればちょっと複雑な心境になってしまうんでしょうね。
でも「看取る」という言葉は、死に際でただ何もせず見とることが、本当の看取りになるとも書かれていました。

病院に行くな、医者にかかるなと思ってるわけではありませんが、常日頃から自分が考えているようなことが、そっくりそのまま書かれている気がしました。

医療の限界、人間の限界を理解し、自分なりの死生観を持っていれば不幸な最期を迎えることはないのでしょう。

医者という職業は、人類の誕生から病を治し心を癒やしてきた選ばれた人たちであり、たくさんの勉強をして医者になり、激務と重い責任と多くのストレスを背負っておられます。
本来もっと尊敬され愛されて然るべきものなんだと思う。

こういった本が出版されて、それに多くの人が共感を得る現象が起こるということは、今の医療には何らかの歪みが生じているということの裏付けなのでしょう。

現代は医師にも患者にとっても辛抱の時代なのかもしれません。

  ※ 関連

『やがておとずれる選択』

『あたりまえのこと』

『加齢だから』

『生と死と笑い』

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コメント

「死に時」が来たから食べない

名言っすねぇ。。。全くその通り

でも、現場で家族にはなかなか言えねぇなぁ。
「死に時ですんで、このままで」って。

ここに就任して過去3年で、唯一ひとりだけ、
家族総意の下で、本人の意志と尊厳を最優先し、
最期まで点滴も流動も入れなかった方が居ました。
亡くなった時、家族みんな感謝してくれたけど、
普段面会に来たこともない妙な親戚が、
なんか廊下で文句言ってたね。。。
もし裁判になってたら、100%敗訴ですわ。

結局いまの日本では、消極的安楽死になるからね。
医師勝訴の判例をバンバン作ってしまうとか、
法で消極的安楽死を合法化してくれない限り、
医師は脊髄反射のスピードで、点滴・鼻管だよ。

その唯一の方の死に顔は、大変安らかなものでした。
死亡診断書には、堂々と『老衰』と書きました。
一番誉の高い死因だと思う。

年寄りはどこか具合の悪いのが正常

これも名言だな・・・( ..)φメモメモ

早速使ってみよw

年いったら、それでいいね。でもいくつってのが、難しい。70歳か80歳か90歳か。
家族に迷惑はかけたくない。
本の下のコメントはちょっとあかんな~
最近友達の旦那様がガンで45歳でなくなりました。
去年見つかって、1年なく・・・
今も1人闘病中・・・私にはショッキングなコメントだわ。まだまだ、子どもには親がいる年齢だから。

>まぁさん

大きな声で言えないことなんでしょうが、本人にも家族にとっても素晴らしい最期にしてあげれたんだと思います。
本当の老衰死を看取れることなどは、普通の医者ではほとんどないんでしょうし、そこまでリスクを背負う医者もまた珍しいでしょうから。
ほんと、これからの高齢化問題や介護現場の疲弊の対策としても法改正は絶対に必要だと思います。

このじいさん(失礼、中村仁一先生)、
「自分などは有名人じゃないから失うものもないし、おまけに先が短いから恐いものなどなにもない」
と、言いたいことを言っておられて気持ちいいですよ。
認知症とは言わず、「ぼけ」と平然と言ってるし、「70過ぎても『ワシはまだ交尾ができる』など言ってるじいさんがいるが、生き物は繁殖を終えれば死ぬのが当たり前」と早く死ねと言わんばかりなことを言っておられますw

>づっきゃんさん

45歳かあ、俺と一緒。 そりゃ若い死だし残された家族も大変な思いをされてることでしょう。
本の帯のコメント、それだけ読むと複雑な心境になるかと思うけど、内容を読めば納得できると思うよ。

僕も、俳優の緒形拳さんが亡くなられた4年ほど前から、死ぬんならがんで治療せず死ぬのが一番いいと思い始めました。
末期がんを抱えながら亡くなる5日前まで舞台挨拶をするなど、死ぬ直前まで自分の生き方や美学を貫くことができるからね。
そして一番怖ろしいのはボケることかな。

本のなかで3歳で死ぬのも、20歳でも80歳でもそれは全て「天寿」であると書かれていました。
いくつになれば「自分はもう死んでもいい」と思えるかな?
孫の顔を見るまで…孫が結婚するまで…ひ孫を…
うちの父は今年85歳だけど、たぶんいますぐ死んでもいいなんてことは思ってないでしょうw

人は確実に死ぬが、それはいつどのように死ぬかなどは誰にもわからない。
だから人は「死」を常に意識していることで、いまを精一杯生きることができるんでしょう。
いい死にっぷりをしようと思ったら、必然的にいい生き方をするようになるはず。
…てのは理想であって、言ってる自分はいつ死んでもいいくらい完全燃焼して生きれてないんだけどねえ。。。

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