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2016.10.12

露 堂々

今回で四度目となる専門僧堂でのマインドフルネス合宿、複数回参加していますが、毎回なにか違った新しい気づきを得ることができます。

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マインドフルネス道のハンド瞑想のレクチャーをおこなったり、坐禅堂でのハンド瞑想などはまた新たに様々な発見が得られました。

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『露 堂々』(ろ  どうどう)

この禅語は、すべての存在が明らかに、すべての物事がはっきりと現われ出ているさまで、そのままの姿のすべてが真理の現われであり、仏の表れであるという意味である。
仏法とは必ずしも神秘的で深遠高尚なものではない。

いくら虚勢を張ってみても、見る人が見れば隠しようもない自分が露となっているものです。

人生においても、肩肘はらずに、何事にも執着せず、気取らず、誤魔化さず、自然にありのままに、そして堂々と生きていきたいものです。

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コメント

加齢による劣化を認め、堂々と「オレこれ以上は無理だから」と言うように心がけたら、自然に環境の方が自分に合わせて来るようになったというか、みんなが助けてくれるようになったこの頃です。

そこの部分を認めたくないから、若いのに混じって、時には競って無理していたけど、ようやくこの歳になって諦めたというか、認めざるを得なくなった感じです。

ストレスチェックの項目に、仕事の量と質のほかに、「仕事量の調整が可能か否か」という項目があった意味を、ようやくいま実感しています。

さて、午後のラウンド行ってきます。大切な5人が待ってくれているので。

>まぁさん

いろいろ回り道をしてこられましたが、今回はよい縁に出会えているのかもしれませんね。

「諦める」は「明らめる」とも言いますよね。何が本質であるのか明らかにすることで取捨選択することに繋がり、結果なにかを諦めることとなります。
年齢のことで諦めざるを得ないこともあったでしょうが、事実を明らかにすることで自分が本当に望んでいた仕事を手に入れることができたのではないかと思います。

見栄や欲を捨てて自分を露わにすることで、もっと大切なものを得ることができたのではないでしょうか。

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